
高津の町工場が描く世界に誇れる奇跡

「働く幸せを実現した町工場の奇跡」、そんなサブタイに惹かれて掘り出した一冊が「虹色のチョーク」(幻冬舎)である。レシートが挟まっており、思い返すと2年前に日テレでドラマ化(主演:道枝駿佑、江口洋介)された際、エンドロールで原作本があると知り買い求めた。開いてみて驚いた。ドラマでは明かされていなかったが、高津区の企業がモデルになっているではないかーー。
高津区はものづくりのまちだ。経済センサスによれば、川崎市全体の製造業の割合は7%(全事業所数約4万)だが、高津区(約6,000)は11%を超え、川崎7区のうちでダントツに高い。特に多摩川沿いの久地や宇奈根、下野毛あたりに卓越した技術をもった企業が集まっている。毎年、オープンファクトリー(ものづくり体験・見学会、今年は11月7日)が開催されているのでご存じの方もいるだろう。
そんな企業の1つに、「日本理化学工業」がある。東京・大田区で1937(昭和12)年に創業し、75年に高津区に移転してきた。二子新地駅からR246の新道を超えた先、住所でいえば久地2丁目。主力商品は環境に優しく80年を超えるロングセラー「ダストレスチョーク」と、ガラスや鏡、ホワイトボードなどツルリとした面にも描ける「キットパス」だ。
障がい者雇用を3代目が切り開いたのは1960年。その後、製造ラインを障がい者が働きやすいよう工夫するなどしてチョーク製造を軌道に乗せる。しかし、ホワイトボードやPCの普及でチョーク需要が減り会社は倒産の憂き目に。その危機を救ったのがキットパス。開発に20年を要している。その間、障がい者雇用の理想と現実のギャップに4代目は葛藤する。
チョークのシェアは現在70%を超えているという。それを世に送り出しているのが正規社員96人中、69人の知的障がい者だ(2024年12月現在)。1987年から従業員50人以上の企業は、2%の障がい者雇用が義務づけられた。日本理化学工業はその先駆者として、半世紀以上にわたって知的障がい者を製造現場の戦力として雇用しつづけてきた。この事実は、大企業も決して真似のできない偉業であろう。
高校が舞台の部活に賭ける青春「あるある話」

中学や高校時代、バンド・吹奏楽・合唱(いまはダンスか)など音楽関連の部活動に入れ込んだ人は少なくない。私もそんな1人だ。地方に出張したとき、仕事先でも呑み屋でも共通体験をした同士であるとわかると、盛り上がってしまう。部活は、文化部・運動部を問わず、世代を感じさせない普遍的な物語なのだろう。
多摩川高校1年3組の新入生、元陸上部の飯島猛とピアノが弾ける乙川光太(ともに仮名)は、突然教室になだれ込んできた「何か普通とは違う歌声」、4部合唱のハモリに度肝を抜かれた。それ以上に、女子の勧誘メンバーに「はーい、1年3組のみなさーん、合唱部はきれいなお姉さんがいーっぱい」「来てくれたら美味しいものサービスするわよ」……、ほぼ半世紀前、自分もそんな甘い言葉に絆されて吹奏楽部に飛び込んでしまった記憶が蘇った。
「歌え! 多摩川高校合唱部」(河出書房新社)は、2003年度のNHK全国学校音楽コンクール(通称「Nコン」、もう1つが「朝コン」と通称される全日本合唱コンクール)に向けて奮闘する合唱部員の姿を、8月の神奈川県から9月の関東甲信越ブロックを抜けて、はじめて10月の全国大会に駒を進めるまでを追う。
モデルとなったのは、JR南武線宿河原駅から徒歩8分にある県立多摩高校だ。実際、県下有数の合唱部の強豪校として知られている。あとがきで著者が打ち明けているように、登場人物は多摩高校の合唱部関係者と部員が下敷きになっているという。ハモる声の出し方や自主練・パート練、合わせの練習、来校して指導するOB・OG、夏合宿(河口湖が定番)などの描写は、かなり正確で説得力がある。著者の綿密な取材の賜物だろうが、地味な音楽ジャンルといえる合唱の世界を、瑞々しいジュブナイル小説として蘇らせた著者の創作力を評価したい。
高校生の部活動に賭ける熱量はいまも昔も変わらない。宿河原駅にすでにない和菓子店・青柳(美味、残っていた久地店も24年に閉店)でどら焼きを買い食いする部員らの姿には、年代を問わず、「あるある」話としてクスッと共感できるだろう。