駅周辺を自由気ままに練り歩き、主感たっぷりにレポートする“散歩連載”。今までの私は、東急線の街が大好きで散歩をしてきましたが、南武線沿線はあまり深く歩けていませんでした。そこで、今回は、津田山駅周辺を初めて歩いていこうと思います。新鮮な感想をお届けできれば幸いです。
11:00 津田山駅へ到着!

どんな出合いが待っているのだろうか? と期待に胸を膨らませながら、駅を降りた第一印象としては、「駅舎がすごくきれいだな…」という驚きの念だった。

11:10 北口から散歩スタート!
駅舎をなめまわすように隅々まで観察しきったのちに、北口から散歩を出発! 津田山駅をご存じの方は、「なぜ、緑ヶ丘霊園のある南口を散歩しないのか」と疑問になられた方がいるかもしれない。その理由としては、緑ヶ丘霊園を散歩するのは今の時期だともったいないと思ったからである。一面に咲き誇る桜を見るために、また春になったら訪れたいと思う。さて、そんなこんなして、私は津田山駅の北側を走る南武沿線道路に沿って歩みを始めた。

反対側へと横断歩道を渡り、見つけたのは細くクネクネしている急斜面な階段! ここで第1回でも紹介した吉見俊哉教授の散歩哲学を振り返ろう。広い道より狭い路地。真っすぐな道より曲がった道。今回はこちらの階段を起点に心の赴くままに歩いていく。

11:20 どんどん住宅街の奥深くへ
階段を上まで息も絶え絶えにしながら登り、見えてきた景色は住宅街。鷺沼駅や聖蹟桜ヶ丘駅の周辺にある住宅街と似ていると思った。聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘住宅地のように、住宅街の中にバス停がなく、歩くのもひと苦労な高い斜度の坂たち。歩いている住民の方は誰ひとり見られない。車や自転車の方が大半なのだろうか。だから駅前にあんな大規模な駐輪場があるのだろうか? そんな考察をしながら住宅街を歩き進めると、何やら公園が見えてきた。

最近運動不足で以前よりも疲れやすくなったために、すこし公園のベンチで休憩をしようと中へ入る。すると、入口の横に興味深いものがあった。



ふたつの碑の隣にあった説明書きによると、この辺りは「七面山」という名前であったという。津田山の名付け親は、玉川電気鉄道(現・東急電鉄)の社長を務めた津田興二氏であり、この辺りの地域発展に多大な貢献を果たしたとされる。それらの縁によりこの地を自身の名前を取って津田山とした。東急線の街が大好きな私にとって、これは非常に驚いた。津田山も東急沿線ではないものの、歴史という観点で見ると実は「東急の街」と定義してしまってよいのかもしれない。
11:50 目的地を設定して出発
津田山公園でひと息つきながら、本日の散歩の最終地点を「久地円筒分水」に決めた。方角と大体の距離感を頭に入れつつ、マップを閉じてまた歩みを進める。久地円筒分水への道のりの途中にようやく住宅街最大の高台に辿り着く。あふれる緑と空気がすがすがしい。この日はあいにくの曇り空であったが、晴れていたらきっと遠くまで見渡せたのではないかと思う。もしかしたら、多摩川花火大会なんかも見やすいかも?

緑が生い茂った道の奥には久地神社が。中に入って神社の空気を味わっていると、何やら勢いのいい水の音が聞こえる。神社から離れて音のする方へと歩いてみると、気づいたら久地円筒分水周辺へとたどり着いていた。平瀬川と二ヶ領用水の合流地点となっており、非常に大きな排水施設を見つけた。

久地円筒分水についた。作られた当時では最先端の、川崎の農業発展にはなくてはならない施設である。文化財にも指定されているようだ。周囲を見渡し空間を堪能する。すると、ある親子が円筒分水の周りを散策していた。会話に耳をすましてみると、円筒分水に浮いているカモの話をしている。山もあり、神社もあり、歴史的なスポットが点在している津田山地域。子どもがのびのびと育つような穏やかな場所なのかなと思った。
津田山駅周辺を歩いてみて

津田山の知られざる歴史を図らずしも知ることができた今回のお散歩。今回訪れたどのスポットも、私のように初めて訪れた人にとっては目新しかったり価値があるものに感じるが、近隣住民にとっては“当たり前”のように暮らしに溶け込んでいる様子が面白く感じた。おそらく、目的地にされることはそう多くないはず。自分だけが知っているような気持ちになれる、散歩好きにはたまらない1日になった。